没落令嬢の奴隷生活 第5話 極限

 数日後、背中に血が滲まなくなると船倉に戻された。
 鞭跡を捕虜に見せ付けるためという理由で、私は、わずかな腰布を身に着けただけの格好で皆の前に突き出された。
 つまりは上半身裸。乳房は手で隠していたものの、肌の大半は露出していたし、なにより鞭跡が剥き出しになっていたせいで、長い間じろじろ見られることになった。

 侍女たちからは同情されたが、私の環境は以前よりも悪化した。
 肩や肘が常に隣の侍女と触れ合うくらい狭苦しくなっていた。
 少し身じろぎするだけで、侍女が迷惑そうにこちらを見てくる。

 船倉をよく観察してみると、船員たちは若干 広く場所を取っているようだった。代わりに女の乗客や侍女たちが窮屈になっている。
 どうやら、私が居ない間も争いは絶えず、結局は、腕力に勝る男たちが幅を利かせるようになったらしい……。
 圧迫されている女たちはますます苛立ちを募らせ、もはや私を気遣うどころではなくなった、ということだろう。

 監禁生活では食事が唯一の救いだった。
 量は最低限を下回っており、これだけでは いずれ餓死するかもしれないという程度しか食べられないが、それでも何かを口にできるだけで ありがたく感じた。
 これまで食べてきた贅沢な料理も、ここでの一切れのパンには かなわない。私は泣きながら硬いパンを噛み締め、食べ終わってからもまた涙を流した。
 誰も私を笑ったりはしなかった。みんな、同じように感極まった様子で咀嚼していた。

 海賊から支給されるパンは、入り口近くに座っている船員に渡される。それが、隣から隣へと手渡しされていく。
 私は船倉奥の角に座っているので、受け取るのは最後の方だ。
 最初の頃は、侍女たちが自分の分を少しずつ削って私の分を多くしてくれていたが、療養から戻ってきた時にはもうそんなことはなく、他の人と同じ量しか渡されない。
 まあ、この状況でそれに文句を言うほど私も馬鹿ではない。
 けれど、そのせいで侍女を調子付かせてしまったらしく、私の分はさらに少なくなった。

 ある時、他の人の半分ほどのパンしか差し出されなかったことがあった。
 そこまで減らされたことはなかったので、受け取ろうとして伸ばした手が途中で止まってしまった。
 侍女は小さなパン切れをさらに突き出して、無感情に「どうぞ」と言い、私の目を じっと見つめた。
 他にも何人かの侍女がこちらに注目していることが分かった。
 私は、どう反応すべきか少し迷った後、無言でパンを受け取った。

 相手が逆らわないのだと分かった途端に増長する気持ちは、分からなくもない。
 私がまさにそうだった。
 屋敷では、何か気に入らないことがあるたびに侍女を折檻してきた。
 頬を平手打ちするだけでなく、鞭で打ったこともあった。もちろん、海賊が使った大きな鞭ではなく、懲罰用に作られた威力の低い鞭でだが、暴力であることに変わりはない。

 自らに仕える侍女に対して罰を下すのは当然の権利だと思っていたが、しかし自分が同じような目に遭ってみると、『一方的な暴力ほど理不尽なことはない』と心底から思った。
 侍女にしてきたことを謝りたいとも思う。

 でも、どこまでが私の本性なのか、自分でもよく分からなかった。
 反省はしているが、それは、鞭を打たれ奴隷の印を刻まれて弱気になっているからに過ぎないのではないか。現状から救われたいという気持ちが、贖罪の意識に すり替わっているのではないか。そう思う。
 さらに言えば、侯爵令嬢としての立場を失いつつある今、侍女の心象を良くすることは、直接的な利益に繋がりやすくなっている。謝りたいという気持ちに、そうした計算は本当に含まれていないのだろうか。
 考えれば考えるほど分からなくなった。

 海賊襲撃からしばらくは日数を意識していたけれど、10日を過ぎた辺りからは どうでも良くなってきて、数えるのをやめた。
 それでも一応、だいたいの日付はまだ分かった。
 1人目の死者が出たのは、およそ20日が経過した頃だった。
 私から ふたり分 離れた位置で座っていた侍女が衰弱死していた。

 立てた膝に顔をうずめて静止していた彼女は、やがて左側に崩れていった。
 『楽をするために寄り掛かってきた』と勘違いしたらしい隣の乗客は、肘で侍女を押し返そうとした。
 けれど侍女は止まらず、隣の乗客に全体重を預け、そのまま動かなくなった。

 誰もが最初は状況を呑み込めずにいたと思う。
 その侍女は痩せ細っていたけれど、そんなのはみんな同じだし、食事量が不足していると言っても、定期的に食べられてはいるわけで……。
 このままでは餓死するだろうという共通認識はあっただろうが、それはもっと先の話だとほとんどの人が思っていたはずだ。

 だから、乗客が声を上げた時、まず皆の頭に浮かんだのは、『また諍いが始まったか』という程度のものだっただろう。
 私はそれに加えて懐かしさを覚えた。
 もうこの時には、喧嘩なんてほとんど起きなくなっていた。男であろうと女であろうと、そんな元気はとうに無くしていた。感情的な声を聞くのは久しぶりだった。

「ちょっと、やめてください……! 疲れているのはあなただけじゃ……」
 乗客の声はそこで止まった。
 いかにも不自然だったので、無関心に下を向いていた者たちですら、顔を上げて視線を送った。

 侍女の肩を揺すり、それでも反応がないことを確かめた乗客は、「あ……」と小さく声を上げたきり沈黙した。
 おそらく全員が事態を悟っただろうが、船倉は静かなままだった。誰も何も言わない。

 私も黙って座っているだけだった。
 自分に仕えていた侍女が死んだというのに、冷淡にも程があるとは思う。
 けれど私は疲れ切っていた。
 内心では驚愕し、困惑し、恐怖していたが、感情が表に出てくることはなかった。

 はぁ、という溜息が どこからか聞こえた。
 誰なのかは知らないが、その人にしたところで、胸の内では様々な衝動が湧き上がっているに違いない。
 それを表現するだけの気力が残っていないのだ。

――――

 排泄の面倒を見るために海賊は定期的に顔を見せる。
 侍女の死を確認した海賊は、荷物を運ぶかのように侍女を担ぎ、さっさと引き上げていった。
 奴隷を乗せていれば死者が出るのは彼らにとって当然のことであり、死体の処分も日常の雑用に過ぎないのだ。

 おそらく侍女は海に投げ捨てられるのだろう。
 それがとても恐ろしく思えた。
 誰にも惜しんでもらえず、ただ捨てられる。ゆっくりと海に沈んでいき、深い暗闇の中で魚の餌になる……。私が死んでも同じような扱いになるのだと思うと、恐くて仕方なかった。
 しかしその想いさえも態度に表れることはなく、私は静かに座り続けるのだった。

――――

 夜、船の外で何かが海に飛び込む音がした……ような気がした。
 私は辺りを見回した。
 侍女と目が合う。
 怪訝な表情をしている侍女を見て、彼女には聞こえていなかったことが分かった。
 たぶん幻聴だったのだろう。
 死体は昼のうちに捨てられているはずだし、そもそも船倉までそんな音が届くとは思えない。
 けれど、私の耳には その音が強く残っていた。

――――

 次の日から続々と死者が出た。
 まるで侍女の後を追っているかのようだった。

 皮肉なことに、死人が増えれば増えるほど、残された者たちの環境は良くなった。
 船倉の広さは変わらないのに、そこで寝起きする人数が減っているのだから、それも当然のことだ。
 支給のパンも量は変わらず、ひとり当たりの取り分がだんだん増えていった。増加量は男たちの方が多かったけれど、私たち女も、食べられる量は着実に増していた。

 ひとりも本心を口にしなかったけれど、全員の想いは一致していたはずだ。
 死人の出ない日が続いた時、皆こう思っていただろう。
 『そろそろ誰か死なないかな』

 その願いは叶った。
 叶い続けた。
 最近は死人が出ないな、と思う頃、決まって誰かが動かなくなった。

 死ぬ順番に法則は見出せなかった。
 性別も体格も関係なかったように思う。
 弱気になった者から順に死んでいったのだろうか。
 もしそうなら、私が真っ先に死んでいてもおかしくはないが……。

 ひとりひとりが受け取るパンは増えているのに、なぜ死亡者は居なくならないのだろう。
 その疑問が、恐ろしい想像を生んだ。
 自分の分を増やすために誰かがこっそりと首を絞めて殺して回っているのではないか。
 馬鹿げた妄想だと自分でも思うが、一度そう考えると、頭から離れなくなった。

 隙を見せたら、つまり眠ったら、次に殺されるのは私かもしれない。
 有り得ないのは分かる。でも、万が一そうだったら……。

 その日は眠れなくなった。
 私は座ったまま膝を抱えて一夜を過ごした。

 翌日、隣の侍女が死んでいた。
 私は安心した。
 殺されたわけではなかったのだ。
 ずっと起きていた私には分かる。誰も首に手を掛けたりしなかった。彼女は衰弱死したのだ。
 海賊の手によって死体が運ばれると、私は、彼女の座っていた場所に寝そべり、深い眠りに付いた。

――――

 航海の終盤、船倉に小さな樽が置かれた。
 排泄物を溜めておくための樽だ。
 死人が続出して場所に余裕が出来たおかげで、ようやく排泄の自由を得られたというわけである。

 私たち女性はもちろん尻込みした。男が何人も居る中で排泄姿を晒すなんて、普段なら考えられない。
 しかし、最初に利用したのは若い女性だった。
 海賊が去ってしばらくは誰も使おうとしなかったが、彼女は唐突に立ち上がり、ふらつく足取りで移動すると、嗚咽を漏らしながら樽を跨いだ。
 お腹を下していたらしく、激しい噴出音と共に、液体が樽の底に叩き付けられる音がした。

 彼女がふらふらと元の位置に戻ると、直後には男たちが順々に用を足していった。
 船倉に臭いが充満して吐き気がした。
 そのうち自分の臭いもこれに加えなければならないのかと思うと嫌気が差したけれど、いつまでも我慢し続けることはできなかった。
 数時間後には私も樽を跨いだ。
 直前までは、いかにして音を抑えるかということばかり考えていたが、中腰の格好で排泄するのは体力的にきつく、周囲を気にしている余裕はなかった。

 船が目的の島に着いた時、捕虜の数は半分を割っていた。
 あまりに日数が掛かりすぎて、いったい何日が経ったのか、見当も付かなくなっていた。

 捕虜のひとりが恐る恐る海賊に尋ねた。
「あの……ここは何ていう島なんですか……?」
 海賊は笑いながら言った。
「知ってどうする?」
「…………」
 結局、島の名前どころか、国名すら分からなかった。
 そこは非常に気になるところだったが、まさか海賊を問い詰めるわけにもいかず、黙っているしかなかった。

 これからどうなるのか不安で仕方なかったが、船倉から出され甲板に上がる際は、久しぶりに空を見ることができると思い、少しだけ気分が高揚した。
 前に甲板へ上がろうとした時は、侍女に止められ海賊に引き戻されたのだったか。

――――

 ……期待していた青い空は見えなかった。
 厚い雲に覆われ、今にも雨が降ってきそうだった。当分は晴れそうにない。

 私たち捕虜は、着古して薄汚れた服で大通りを連行された。
 縄で縛られた腕を見れば、奴隷であることは一目瞭然だったろう。
 別に奴隷なんてそう珍しくはないだろうが、私の外見が気になるのか、すれ違う人々に視線を向けられることが多かった。

 肌の浅黒い人ばかりが目に付いた。
 私の屋敷には、肌が真っ黒の奴隷がひとりだけ居たが、そこまでの人は見掛けない。
 ただ、私たちのような色白の肌とは明らかに違っていた。
 服装にも違和感がある。
 交わされている言葉には全く聞き覚えがない。

 やはり、ここは隣国どころではなく、人種も文化も異なる遙か遠方の島のようだった。
 胃を締め付けられるような不快感が じわりと湧き上がった。
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